月報 - 2025年5月

2025.06.10

あったこと

東京に進学した友達のところに遊びに行く

文化祭に遊びに行って、家に泊めてもらった。出店の飲食物について、クオリティが気になる点はあった──というか、あけすけに言うならば、それで金を取るのか、と思う点もないではなかったけれど、文化祭の貧弱な設備で真面目に料理のクオリティを追求しようとすると元を取るのが大変なんだなあ、という学びを得た。
はた目からも、凝ったことをやっているクラスは回転率が低く大変そうに思えた。

また、ヨルシカをアコギでカバーしていたユニットの、ボーカルの方の歌がすごく好みで、思わず立ち止まってしまった。若干緊張されている様子にも見えたけれど、のびのびした張りのある声がとても素敵だった。

あと、近況もろもろ

Twitterを再開する

思想が強いタイプのインターネット人なので、強い意志を以てTwitterと表記します。

受験期にアカウントを消してしばらくおとなしくしていたのだけど、また作り直した。
イベントに参加するなら情報収集はしないといけないし、そういう役割はやっぱり他では代替できない。Feedlyなんかも使っているけれど、SNSはそれぞれが囲い込みに熱心なので、結局そのサービスを使わざるをえない。これはTwitterに限った話ではなく、まあサービスの運営も商売であることを考えれば当然だが、それはそれとして気に食わない感じもある。

とはいえTwitterは劇物である。毒にも薬にもなる、のレベル100だ。したがって運用にあたっては細心の注意を払わねばならない。気を付けなければと思っている。

本が読めていない

目下の問題である。
なんだろうな、活字を追うという行為は存外にエネルギーを消費するもので、それでもって今の私にはそれだけ読書における体力が失われているのだなあ、ということをまざまざと感じさせられた一カ月だった。

SNSに時間を奪われている感覚はあるのだけれど、本が読めていないのはあながちSNSのせいでもないと思う。細切れに残されたエネルギーがそこに費やされているという感覚があって、それは元より本を読めるだけのエネルギーではなかった、けれど本を読む前提で他の行動をきちんと配分していれば本を読むことはできた、そういう気がするのである。

触れたコンテンツ

読んだ本

ほとんど読めていないけれどこれだけは、というもの。

劉慈欣「三体0 球状閃電」

シリーズ通して面白く読んできて、エンタメ作品としての引力がものすごいなと思う。なぜかキャラクターはあまり好きになれないのだけれど、それを抜きにしてストーリーと構成それ自体に引っ張って行かれる感覚がある。読み始めると止まらない一冊だった。

瀬口晴義「オウム真理教 偽りの救済」

なんとか読破。やりきれないなあという思いがある。

見た映画

名探偵コナン 隻影の残像

家族で見に行った。良かったーー。感想は長くなったので個別に書く。

ウィキッド

前後編が分かれていることすら知らずに行ったが、楽しかった。グリンダが自分の落ち度を毛ほども疑わないターンがやや長くて、そのぶん雪解けが唐突なようにも感じたけれど、音楽と映像が良すぎてどうでもよくなってしまった。
あれだけ声量があったら歌うのめちゃくちゃ楽しいだろうなあ。

総括